1973-06-28 第71回国会 衆議院 決算委員会 第19号
○坪川国務大臣 芳賀先生おっしゃるごとく、いわゆる北方領土の古来の領土ということは、やはりいまの歯舞、色丹国後、択捉、の四つということになっておるのでございまして、サンフランシスコ条約によっての規定は、いまお示しになったとおりと私は解釈しており、また外務省といたしましてもそう解釈をいたしておるような次第でございます。
○坪川国務大臣 芳賀先生おっしゃるごとく、いわゆる北方領土の古来の領土ということは、やはりいまの歯舞、色丹国後、択捉、の四つということになっておるのでございまして、サンフランシスコ条約によっての規定は、いまお示しになったとおりと私は解釈しており、また外務省といたしましてもそう解釈をいたしておるような次第でございます。
そこで、いまお話のあったように、北方の領土というものは歯舞、色丹国後、択促が日本の固有の領土だから、その返還を迫るというような日本の情勢が非常に強くなってきた。そこで、愛知外務大臣の時代に、愛知外務大臣が歯舞、色丹の周辺だけの安全操業では不満足だ、歯舞、色丹国後、択促四島の周辺十二海里か三海里まで、この領海の違いがございますが、そこまで全部日本が入れるようにという提案をしたわけでございます。
○臼井委員 国後、択捉、歯舞、色丹――国後、択捉も固有の領土だと言うのは、いまだかつて日本以外にいずれの国もこれを統治したことがなし、領有したこともなし、また日本民族以外にソ連人といえどもそこに住んだこともない。
その他文献などによりましても、千島列島はもと擇捉水道を境にして北千島と南千島にわかれておつて、安政元年の日露通商條約でも、あるいは明治八年の樺太千島交換條約でも、択捉、歯舞、色丹国後の諸島が、日本領として確認されておつたというような事実もあるわけでありまするが、この千島というものの地域を具体的にどういうふうに慣例上お考えになつておるか、承りたいと思います。